ちょっとゴージャス感あるパスタランチ^^
冷凍庫の片隅に転がっていたバナメイエビ5匹すき焼きの残りの牛肉、50グラムぐらい?中途半端に余って野菜室で拗ねていたピーマン、たまねぎ、マイタケたち。
どれもラップに包まれて「失われた世界」を形成していたのをすべて適当にカットし、バターで炒めてお醤油とみりんで味付け。そのフライパンに、スパゲティを投入したらこんなん出ましたぁ(泉アツノ師匠、再び登場、タハッ^^;)
サラダはグリーンのグラデーションも目にさわやかなレタスとアボカド、シラスいり。
で・・・・・今回も料理ではなく映画のお話。お写真全く関係ない路線、またぞろ復活の兆しか?(´;ω;`)ウゥゥ
「アヒルと鴨とコインロッカー」(2007年 日本)
原作者は、推理小説好きなら誰しも読んだことがあるだろう伊坂幸太郎。映画の予告を見るまでもなく瑛太(現永山瑛太)が出演すると聞いてきっと「あの役」を演じるだろうことは想像できたし適役だとも思った。
伊坂幸太郎氏の小説との最初の出会いは「ラッシュライフ」。その次に読んだこの「アヒルと・・・・」は大変面白くて、その後も「重力ピエロ」「オーデユポンの祈り」「ゴールデンスランバー」など随分読み漁ったけれど、この作品が一番好きだった。
なぜだかは分からないけれど当時50もとうに過ぎていたというのに、かつての本好きな少女だったころのように小説世界を自分なりに想像して埋没し登場人物たちを切なく回想したりして読後いつまでも抜け出せなかった。
そしてその原作者伊坂氏も、映画化は難しいのではないかとかつて述べているように、内容は語れないが物語は単なるミステリーではなくその小説手法は巧みにして意表を突いている。それを果たしてどう映像表現するのか、とても興味があったけれどそれだけに映画を観るのはためらわれた。
小説と映画は別物と、常日頃考えている私だが思い入れが強い作品の映画化はやはり観賞に至らないことも多々あるのだ。
「アヒルと鴨とコインロッカー」小説発表は2003年、舞台は仙台。
物語は、外国人差別、動物虐待、HIV感染といった要素を若者たちの生態の中に盛り込んで、「襲撃」「復習」「監禁」といった重い事柄すら、あたかも日常のひとつの風景の様に描いてある種の浮遊感を持って語られていく。
想えばその数年前、2001年にアメリカ同時多発テロが発生し世界は不穏な空気に包まれていた。そして2007年、東日本大震災(2011年)発生前に映画「アヒルと・・・・」は公開され、同年、アメリカの投資銀行リーマン・ブラザース・ホルディングが経営破綻する。その多大なる影響は日本経済にも及んだことは周知のとおりだが私の長男は当時就職活動中、まともにそのあおりを食らっていた。通っていた東京都内の大学、学部生のころはバイトやサークルに明け暮れて大学院への進学は苦労した彼だったが、就職で困ることはないだろうと本人も家族も思っていたにもかかわらず、思いもかけない出来事で彼は面接に落ち続けた。
「また、お祈りメールがきたよ」
遠方でただ見守るしかない愚かな母は、一人悩む息子が変な気を起こさないかと心中穏やかでない日もあったくらい心配した日々だったが、どうすることもできない。一人で気持ちを奮い立たせて挑む彼を思い、小包を作り・・・・その中に「アヒルと鴨とコインロッカー」の文庫本を忍ばせた。よりによって選んだ小説がなぜこれだったのか。今となっては苦笑するしかない。でもこんな時、「啓発本」や「人生訓」を書き連ねた書籍や妙に明るい励まし系、ガッツ系の青春物や「詩集」なんて気持ち悪い。ただ、そんな風に考えていたことだけは確かだ・・・・・・・(´;ω;`)
「なんでお母さんがあのときあの本くれたのか、わかったよ」
「特に意味はなかったんだけどね」
後年、こんな会話が交わされたことを、
もちろん伊坂氏は知らないだろうけれど(苦笑)
そして映画は・・・・
ついこの間アマプラに上がっているのに気づいて観た。
やはり瑛太君は適役にして素晴らしく良かった。
当時の彼はまだ27.8歳の、頭角を現し始めた新人だったはずだが
脚本もうまく練られていて、伏線回収も違和感なく
ボブディランの「風に吹かれて」が切なく流れ、
青春ストーリーとしても、ほろ苦い後味ながら軽やかな作風で楽しめた。
さて・・・・久しぶりに今日の一曲。
「彼の7本目の弦にはなりたくなかった」と言った
スーズ・ロトロと腕を組むディラン・・・・
このジャケット写真が大好きなんだよね。